【社労士執筆】 勤怠管理をするうえで、なぜ客観的記録が必要になるのですか?
- 労務知識
- 客観的記録
執筆者
寺島戦略社会保険労務士事務所 所長
寺島 有紀
勤怠管理をするうえで、なぜ客観的記録が必要になるんですか?
まずは勤怠管理をめぐる法律の前提を確認してみましょう。
労働安全衛生法について
勤怠管理については労働安全衛生法上にその義務についての根拠の記載があります。
会社には安全配慮義務というものがあります。安全配慮義務とは従業員が安全に健康で働くことができるように配慮する義務のことです。
労働安全衛生法とはそうした従業員の安全配慮上必要な会社の義務が規定されている法律となり、企業の1年に1回の定期健康診断義務や、80時間超の時間外・休日労働を行った従業員が希望した場合の面接指導義務、従業員50人以上の事業場のストレスチェックの実施義務など多くの義務が規定されています。
この労働安全衛生法第66条の8項3で下記の通り「厚生労働省令で定める方法により、労働者の労働時間の状況を把握しなければならない」という勤怠管理の義務が規定されているのです。
また、この厚生労働省令で定める方法とは?という点については、労働安全規則に「タイムカードによる記録、パーソナルコンピュータ等の電子計算機の使用時間の記録等の客観的な方法その他の適切な方法」とあります。
第六十六条の八の三 事業者は、第六十六条の八第一項又は前条第一項の規定による面接指導を実施するため、厚生労働省令で定める方法により、労働者(次条第一項に規定する者を除く。)の労働時間の状況を把握しなければならない(法第六十六条の八の三の厚生労働省令で定める方法等)
第五十二条の七の三 法第六十六条の八の三の厚生労働省令で定める方法は、タイムカードによる記録、パーソナルコンピュータ等の電子計算機の使用時間の記録等の客観的な方法その他の適切な方法とする。
出典:労働安全衛生規則
これらの定めをもとに、一般的に企業においては昨今ではクラウド勤怠ソフト等の導入を行い、勤怠打刻をしてもらい労働時間を把握している・・・というところになります。
なお、客観的記録という点において、特にIPO(新規上場)を目指している企業等においては、証券会社等から「クラウド勤怠ソフトの導入のほかに、別途PCログも取得してください」と要請されるケースは非常に多くあります。
打刻だけでは不十分?
ここで多くの疑問を労務担当の方が抱くことになります。 その疑問は下記のようなところです。
これは認識として間違っておらず、法的にはクラウド勤怠ソフトの導入であっても、法律が求める客観的記録の一つといえる、ということは筆者も労働基準監督署等に多く問い合わせた結果、回答を得ています。
ただ、客観的記録と一口にいっても、その客観性には高い・低いという順序が存在しています。
いわゆるエクセルや手書きのシートに自己申告で労働時間を記載させる・・・といったことは自己申告として客観性が低い方法の一例ですが、客観性が低いというのは具体的には「いつでも修正ができたり、改ざんが容易であったり恣意的な運用のしやすさ」があるということでもあります。
ただ、古くは据え置き型のタイムカードマシンの時代からも終業時刻でまずは打刻させてから仕事をさせる「早打ち」があったように、クラウド勤怠ソフトでも、早く打刻させたり恣意的な運用が不可能とは言えません。
とはいえ、手書きのエクセルシートや紙よりは、やはり恣意的な運用をしにくいので、そうした意味でタイムカードやクラウド勤怠ソフトの客観性は一段上がっていると考えられます。
客観的記録の必要性
この客観性のいわば最上位に君臨するのが、PCログや、入退室管理システムの記録となっています。
そのため、例えば労働基準監督署が事業所に調査(臨検)に入った場合に、勤怠ソフトの記録に加え、PCログの提出も求めるケースというのは実際に多くあります。
つまり、客観的記録の一つとして勤怠ソフトを利用しているということ自体に法律違反等はない一方、より「その勤怠記録が正確なのか」という点においては、現在のビジネス態様を鑑みると、PCの稼働履歴や入退室記録と突き合わせるのが一番労働時間の実態を反映していると考えられているからです。
こうした実態を鑑みて、上場審査やその前段の証券会社の審査においても、
というようにみなし、上場準備期間からこうしたPCログとの突き合わせ体制を整えてくださいといった指導を受けることが多いと考えます。
なぜ客観的な勤怠把握が必要なのか、というのがお判りいただけたかと思いますが、勤怠管理をすることが本質なのではなく、より客観性の高い勤怠管理を行った結果、上述の通り企業としての安全配慮義務を果たし、労働基準法に基づいて、適切に賃金を払い、かつ36協定も遵守するといったコンプライアンスを守ることにつながるということが本質なのです。